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『なつぞら』茜のモデルになった人は?


茜のモデルは存在したのか?




これは、かなり前のニュース記事になります。
ネタバレになるとドラマを楽しめない人もいると思い紹介を避けていましたが、茜ちゃんも下山さんと結婚し、なつと坂場くんの結婚も決まったのでご紹介します。


モデルではなく、ヒントとされた人物ということですね。
なつのモデルは奥山玲子さんらしいですが、ご主人の小田部羊一さんは時代考証として参加していて物語の中には登場しません。
『なつぞら』のドラマ内では奥村玲子さんは高畑勲さんと結婚して、宮崎駿さん(神っち)の奥さんである大田朱美さん(茜)は大塚康生さん(下山さん)と結婚することになります。


FRIDAYデジタルより


★大田朱美(おおた・あけみ);モデル、ヒントと思われる人物◆
1938年生まれ。父親は版画家の大田耕士。アニメーターとして東映動画に入社し、新人として『白蛇伝』の動画に加わった。その後も長編漫画映画の動画スタッフとして、『少年猿飛佐助』、『西遊記』、『安寿と厨子王』、『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』、『わんぱく王子の大蛇退治』などに携わった。森康二は大田が描く絵を高く評価しており、アニメーターとして将来を嘱望されていた。

当時、東映動画に在籍していた演出家の芹川有吾が、後にインタビューで大田のことを「女だてらに無愛想で、とってもオッカナイ少女だった。おっかないだけに、たまにニッコリ笑ってくれる顔はとてもチャーミングだった」と言及している。

1965年10月に、後輩にあたる宮崎駿と結婚。結婚後も共働きの約束をしており、『ガリバーの宇宙旅行』(1965年)、『長靴をはいた猫』(1969年)、『アリババと40匹の盗賊』(1971年)などの動画を担当した。

その間、1967年1月に長男の吾朗(後にアニメ監督)、1969年4月には次男の敬介(後に版画家)を出産した。しかし、駿が東映動画を辞めてAプロダクションに移籍すると、深夜帰宅が続くようになり「共働きは無理」と断念。朱美は退職し、育児に専念するようになった。スタジオジブリで精力的に仕事をこなす夫の駿のために手作り弁当を作り続けたなど、夫婦仲の良さを語るエピソードも多い。

後に、自分は夫よりも絵がうまいが、結婚したら自分が絵を描く仕事をやめることになったと、アニメーターの仕事に対して未練があったことを知人に話したという。この決断に関しては、宮崎駿も「女房には申し訳なかったと、いまもそう思っています」と、中日新聞のインタビューで触れている。

大田は、働きながら子育てをしていた5年間の様子をスケッチ日記にしたためており、2人の子どもは、小学校低学年までそのスケッチ日記を眺めて楽しんでいたという。そのスケッチ日記は、『ゴローとケイスケ −お母さんの育児絵日記−』(徳間書店/1987年)として発売。また『トトロの生まれたところ』(岩波書店/2018年/宮崎駿監修/スタジオジブリ編)で、所沢の四季折々の自然な魅力や植生をスケッチ日記で紹介する「ふるさとスケッチ日記」のパートを担当するなど、現在も絵を描き続けている。




坂場→高畑勲
神地航也→宮崎駿
三村茜→太田朱美(宮崎駿の妻)
森田桃代→保田道世
下山克己→大塚康生
大沢麻子→中村和子
井戸原昇→大工原章
仲 努→森康二
大杉満→大川博
露木重彦→薮下泰司



こんな前書きのような記事も目にして、あの演出では、ドラマを視聴しているみんなは茜ちゃんは神っちと結婚するもんだと思っていましたよね('-'*)




全文はこちら(それぞれの説明が載っています)
https://friday.kodansha.co.jp/article/49891



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