河西智美が卒業したAKB48について語った。
現在はソロで舞台やミュージカルで活躍している河西智美。グループでできないことがやりたくてソロを始めたが、同じくらいにグループでしかできないこともあると気付かされたという。そんな河西が今になって思う、AKB48のことを語った。
【ソロになって楽屋が寂しい】
AKB48時代は楽屋が賑やかで、もう少し静かでも良いくらい。だからひとりの世界に入る時はイヤフォンやヘッドフォンが必要だった。けれどソロになるとライブ前に楽屋にぽつんとひとり。この静けさで変な緊張感が楽屋内に充満してなんだかドキドキしてしまうという。AKB時代はみんなでワーワー話しながら「今日どこ食べ行く?」「昨日◯◯美味しかったね」としゃべりながら「行くよー!」とそのままの盛り上がりで歌っていた。なのでどうやって緊張感をほぐしてテンションをあげてライブに臨むかで最初は苦戦したという。
【一番後悔しているグッズは◯◯】
AKB時代は何が一番大変だったかというとスピード感だった。展開が早く、今何をしているのかわからないで仕事や撮影をしていることもあったとか。空き時間に撮影していたものが顔のポスターや等身大枕など大きなグッズになっていて「え?そんな大事なやつだったの?」となっていた。自分が何をしているのか、これは本番なのかリハーサルなのか、わからなくなる瞬間が多々あったらしい。そんな河西が一番後悔しているグッズは等身大枕。毎月毎週たくさんの写真を撮る撮影日があり、ハイハイハイハイというテンポで撮った1枚が等身大枕になってしまいゾッとしたという。メイク直したかった!と悔しがった。
【卒業するまゆゆに伝えたいこと】
まもなくAKBを卒業する渡辺麻友ことまゆゆへ思うことは「おつかれさまです」。「卒業してからの不安は麻友でもあると思うし、責任感が強い子なので余計感じていると思うけど、卒業したら卒業したですごく楽しいんだよ。ようこそこっちの世界へ」とやさしく語った。一応自分の後輩になるがまゆゆには頭が上がらないという河西。プロ意識が強くスキのない子だからスキを見せてほしいなとも伝えた。まゆゆに勝てることは「結婚して家庭に入ったら麻友より活躍できそう!」とのこと。まゆゆはいつもメロンパンを食べていて生活感がなかったので、たまごが割れるのかもわからない。なので自分のほうが家庭的だろうと思っているらしい。
ソロになったからこそ何周年記念などでたまに限定でメンバーと集まると楽しいという河西。昔は自分もそうだったのにメンバーの苦労話を聞くと「よくこんな大変なのに続けてるなぁ」と尊敬するのでメンバーに「あなたも何年か前までそうやってたから!」とツッコまれるらしい。後輩たちにもずっと心を寄せている河西の今後の活躍が楽しみだ。
http://news.line.me/issue/oa-jolf/e66b0829e844
ともーみは歌もダンスも上手く、容姿など全てを合計した点数はAKBの中でTOPクラスの人でした。
一番に思い出すのは、AKB48 リクエストアワー セットリストベスト100 2011。
まゆゆがヲタ4として、ヲタ全開でMCを務め、秋元先生にMVPをいただきました。
そのDVDのコメンタリーでともーみが
「まゆ!自分のキャラを忘れないで~」みたいな心配をずっとしていたことです(笑)
あれは歴史に残るMCでした!
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まゆゆと同期(3期生)のたなみん(田名部生来)
いよいよAKBオーディション最終審査、二次審査から10日後の2006年12月3日でした。私の誕生日翌日に最終審査を受けに行くことに。いやあ、ぐっすり眠れましたよ(笑い)。二次審査からそこまでたたないのに、よく交通費続いたな…。
ここまで来ると、心配なのか疑い深い母とノリノリの父がついてきてくれました。会場に到着すると、72人の女の子が。最終審査はダンス審査、歌唱審査と質疑応答でしたが、不思議とまったく緊張してませんでした。
大きな鏡の前でダンス審査用の基礎レッスンがあり、初心者が多かったので、「Virginlove」というAKB48の楽曲で簡単なステップを教わります。今となれば、なんであんな簡単なことができなかったんだろうと思いますが、その時の出来は悪い方だったと思います。
ダンスがうまい子や自信がある子たちの“鏡前争い”がすごかった…。私も格好だけはかわいいPUMAのジャージーを着て気合十分。はるごん(仲川遥香)が、一人だけふらふらステップでとてつもなく目立ってました(笑い)。合間には自主練もしっかりして5人ずつ1グループでのダンス審査。あの時の自分の映像見たいなぁ…。
最終審査からは秋元康先生や夏まゆみ先生、AKB創設から携わってるスタッフさんのみなさんがいて緊張感に包まれていましたが、私は、そこまで緊張しませんでした(笑い)。
ダンス審査の後は歌唱審査です。自ら選んだ楽曲を一人ずつ披露していくんですが、前後に、はーちゃん(片山陽加)とゆきりん(柏木由紀)がいて、2人とも歌謡曲を歌ってましたが、「上手だなぁ〜」と思って聞いていました。後に4期生として加入し、SKE48に移籍する中西優香が歌ったゆずさんの「超特急」も印象的でした!
私は当時大好きだった大塚愛さんの「フレンズ」を歌わせてもらいました。歌い終わった後の質疑応答では、1人のスタッフさん(以下:ス)とこんなやりとりが。
ス:AKBで好きなメンバーはいますか?
私:小嶋陽菜さんです。
ス:それはなぜですか?
私:かわいいからです(即答)。
という、なんのひねりもない質疑応答で秋元先生がフッと笑ったのを私は見逃しませんでしたよ!!!
最後の審査が終わり、待ち時間の間はライバルたちを観察してたのですが、まゆゆ(渡辺麻友)と、らぶたん(多田愛佳)が特に目立ってました。
「2人ともなんてうるせーガキだ!」と、心の中で思ってました…本当にごめんなさい!
お母さんたちもキャピキャピされてましたし、まゆゆとらぶたんはそれくらい元気が良くて目立ってました。私とそんな年変わんないのに。そういえば、合間に時間潰しで行ったファミレスでも一緒で、「げっ! あのガキだ!」と思ってたことは内緒です(笑い)。
よかったです、あれから10年苦楽を共にする仲間になれて。大好きな同期になれて私は幸せです。まゆ、卒業おめでとう(唐突)。
アイドル 渡辺麻友 に出会って。
今回はがらっと変わって先日、地元・埼玉のさいたまスーパーアリーナで、卒業コンサートを終えた渡辺麻友について
語りたいと思います。
出会いはもう10年以上前になります。先週、お話しさせていただきましたが私の中で「うるせーガキだ!」からこの10年で「一生ついてくぜ!」に変わりました(笑い)。
思い出すと、実は最初まゆのことはそこまで興味がありませんでした。
AKBが大好きなちっちゃくて白くて不思議な子だなぁくらいでした。
だんだんとAKBとして慣れてきたころは、まゆゆとして先陣切ってどんどんフィーチャーされていく姿を見て、私はうらやましくもあり、悔しくて涙を流す日々が続きました。
「B2nd会いたかった公演」(※2007年10月7日から08年2月21日まで行われた、初代チームBの劇場公演)で、「渚のチェリー」という曲でまゆがセンターで、私は後ろ3人のバックダンサーをしていました。悔しくて悔しくて、私はとにかくあのころはダンスを頑張りました。「後ろいいね!」と良い評価をいただいたことをモチベーションに頑張りました。まゆのことはその時はちょっと恨めしい存在というか「いつ取って食ってやろうか!」と公演があるたびに思っていました(笑い)。
ただ、プライベートでは話す機会は増えました。ビックリするくらい一瞬で仲良くなったきっかけが漫画「鋼の錬金術師」の話で。いわゆる“ヲタトーク”ですごく盛り上がって、翌日には2人で東京ディズニーシーに行ってました(笑い)。
忙しい毎日の中で、ちょっとお休みがある時はふらっと池袋に遊びに行ったり、今思えばぜいたくさせてもらってました。握手会のたびに一緒にコスプレをしたり、「ヲタ4」というユニット?を勝手に結成してなかやん(仲谷明香)、らぶたん(多田愛佳)とイベントでアニメソングを歌わせてもらったり、すごくいい時代でした(笑い)。
チームが2010年に組閣になってからは、なかなか話せる機会も減り、その後に同じチームになればうれしい気持ちになり、幼なじみのような気分でした。同期が減っていく中で心から信用できて、隣にいてくれるだけで安心して。私に何か起きたら自分のことのように喜んでくれるまゆ、気づけば私も彼女の活躍に喜び、泣き、感謝するようになりました。
自分が卒業を決めた時、真っ先にまゆとゆきりん(柏木由紀)に報告しました。あの時の寂しそうな顔、うぬぼれていいっすか?…忘れられません。私は今年の総選挙に出馬をしなかったので、まゆの卒業発表はテレビで拝見しましたが、家族全員で涙しました。
私たちの大好きなアイドルがとうとう決意したんだ、と。たくさん我慢してAKB48というグループのためにたくさん頑張って、AKB48が誰よりも大好きな分、真剣に自分のやるべきことをやってきた彼女を本当に尊敬しています。
卒業コンサートに出演させていただきましたが、まゆのファンの皆さんに対して、グループに対しての愛あふれる演出、セットリストにまた感動しました。
かっこいいな、と。
これから先もお互い頑張っていこう。そう感じました。
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